「………リョーマ?」 いきなり腕を掴まれ、声をかけられたリョーマ。 普通ならそこで相手を殴りつけるかもしれないが、今回は少し場合が違った。 …リョーマにとって、その声の主が親しい人のものであったから。 「…深司…!」 「どうしたの、その格好は…?」 リョーマの可愛い姿に、目の前に居る不動峰中二年、伊武深司は少なからず動揺していた。 他人には分からない微妙な違いだが、リョーマには解る。 名前で呼び合っている時点で、彼らは特別な関係なのだ。…今のところは、友達以上恋人未満な関係だが。 「深司〜…」 「りょ、リョーマ?」 色々と話したい事はあるのだが、頭の中でごちゃごちゃしてしまって整理出来ない。 言葉じゃ面倒だと思い、困惑気味の深司にリョーマは抱きついた。 「…リョーマ、まさか…」 「うん、今の俺は…女、なんだ」 「どうして…」 「親父に、変な薬飲まされたらこうなった」 先程の泣きそうな表情から一変して、ブスッとした不機嫌な表情になるリョーマ。 その言葉に、深司は軽い頭痛を覚えた。 (確かに…あの人ならやりそうかも…) リョーマの家によく行っている深司は、何度か南次郎とも対面した事があった。 100歩譲って息子大好きだと認めるが、その可愛がり方は普通とは少し違う事が印象に強かった。 「深司に逢えて良かった…ちょっと心細かったんだよね、この格好で一人で居るの」 「…うん、俺も逢えて良かった」 このままの姿でリョーマを放って置いたら、間違いなく他の男が声をかけていただろう。 男の状態でも、貞操の約束はハッキリ出来ないのだ。女の身体の今、リョーマは無防備な状態だといえる。 「深司は何してたの?」 「俺は神尾と買い物に来てたんだけど…」 深司はちらりと横目で促した。今まで見たこともない程、穏やかな表情をしている深司。 そんな深司を初めて見た神尾は、固まっていた。何せ、深司とリョーマの関係も知らなかったのだ。 こうやって二人が抱き合ってること自体、彼には信じられない事実である。 「神尾。いつまでそうしてるつもり?」 「………深司!お前、越前とどういう関係なんだぁ?!」 「どういうって…、神尾にとっての杏ちゃんと同じ存在だよ」 恥ずかしげもなく言った深司に、神尾の方が顔を赤くした。 「深司…!もう、変な事言わないでよ!」 「ん…冗談だよ。友達、友達」 物凄く棒読みで言う深司。先程「杏ちゃんと…」と言った時の表情とは全く違う。 きっと前者が本音で、後者は不本意なのだろう。 お互い好きそうな感じなのに、これでよくまだ友達のままでいられるな…と神尾はある種の尊敬すら深司に抱いた。 「…どうでもいいけど、またえらく可愛い格好だな」 もうすでに、男なのにとかいう考えは神尾の中にはない。リョーマの着ている服の可愛さに、素直に驚いた。 「…さっき、ルドルフの人に着せられてね。似合わないでしょ?」 「いや…似合い過ぎて不自然っていうか」 神尾は苦笑した。男の時も可愛いとは思っていたが、女になったらいっそう可愛く、色気を出すようになったリョーマに。 しかしそんなリョーマを腕に抱いてる深司に軽く睨まれ、神尾は肩を竦めて見せた。 「深司、俺はもう用事終わったからいいよ。お前は越前と居てやったら?」 「…そうする」 「じゃな、深司。それに越前」 神尾は手をひらひらと振って、二人から遠ざかって行った。 暫くその姿を見送っていた二人だが、周りの人にじろじろ見られている事に気付き、顔を見合わせた。 「その格好は、他の連中には目の毒。俺の家、来る?」 「うん」 深司の家は、そこからそう離れていない場所にある。 二人は手を繋ぎ、無言でそこまでの道を歩いた。 「…入って」 「お邪魔しまーす」 「誰も居ないから、気にしないでいいよ」 そのまま深司の部屋に通されたリョーマ。何度か来た事があるが、リョーマはこの部屋が大好きだった。 白と黒を基調にした、あまり物を置いていない深司の部屋。 シンプルと言ってしまえばそれまでだが、深司らしさの滲み出ている内装が、リョーマのお気に入りでもあった。 「…でも、これからずっとそのままなの?」 ベッドに腰掛けたリョーマを見て、深司は呟いた。 「わかんない…。でも、いつかは戻ると思う、けど…」 自信無さそうに言うリョーマに、深司は軽く溜息をついた。 「ほんと、南次郎さんて面白い事してくれるよね…。リョーマの父親じゃなかったら、殴ってたかも…」 「俺も殴りたい。けど、殴って元に戻るわけでもないしね…」 リョーマはごろりと横になると、深司の枕に顔を埋めた。 シャンプーなのか香水なのか。リョーマの好きな香りが鼻を擽った。 「…でも、いきなり女の身体じゃ、不便でしょ?」 「うん、それがさ…今、生理になってるんだよね」 昨日よりは大分マシだが、まだ少し痛む腹をリョーマはさすった。 「ふ〜ん。どんな感じ?」 「痛い!すっごく痛いの!気持ち悪いし…」 リョーマはベッドの上でジタバタ暴れて見せた。 「…さっきから誘ってるの?それ」 「ん…?」 久しぶりの深司の香りを楽しむために飛び込んだベッド。先程暴れたために乱れた衣服。 …そして好きな相手に向ける甘い視線。 普通の男だったら、とっくに理性など吹き飛んでいるだろう状態だ。 「俺の事、試してる?」 「…まさかぁ」 深司の言葉を聞いて、リョーマはクスクスと笑った。 これは本当で、別に誘ってるつもりでも苛めたいつもりでも何でもなかった。 「俺は本当に君の事好きなんだから、そういう挑発はマズイよ」 「…別にいいじゃん。俺だって、深司の事は結構好きだし」 深司は本気で告白しているのだが、リョーマはどうしても友達、としての方だと思って返事をする。 これでは蛇の生殺し。しかしいつもの事なので、深司は別段落ち込んだりはしない。 「…俺の頼み、一つ聞いてもらっていい?」 「何?深司のお願い…?」 深司に何かを頼まれるのは初めてなので、リョーマは目をキラキラと輝かせていた。 「キス、したい」 「え…?」 一瞬停止したリョーマの脳内。けれど次の瞬間に、その質問を理解し、赤面した。 「深司…!確かに今の俺は、身体は女だけど…!本当は、男なんだからね!?」 「解ってるよ、それぐらい。でもしたい」 そう言ってからずい、と顔を近づけ、リョーマの唇を涼める深司。 あまりに突然の事に、リョーマはボーとしていた。 「リョーマ…?」 「し、し、深司!何でこんな…」 「何でって…俺、リョーマの事好きだし…。リョーマは違うの?」 「好きだけど…でも、それは…」 「友達としてってのはなしね」 深司に先手を打たれ、頭を抱えるリョーマ。 確かに深司の事は好きなのだけれど…深司は自分が女の子になったからそういう事を言ってるんじゃないのか? そんな風に疑っていた。 「…ゆっくり考えてくれればいいから。もう遅いし、送ってくよ」 「…うん…」 深司と並んで歩きながら、リョーマはずっと考え込んでいた。 もし女になったから、という理由で告白してきたのなら…男に戻った時、嫌われてしまうのではないか? それを考えると、男に戻りたいという気持ちが萎えてしまう気さえした。 本当は好きなのだ、深司の事が。でも男に戻る事で嫌われてしまうのだったら、女のままで居たい。 リョーマはそんな事を思っていた。 「リョーマ?家、着いたけど…」 「ん、ありがと深司。じゃあね」 深司に向かって少し無理をしてつくった笑顔を浮かべると、そのまま急いで家に入った。 リョーマの表情に、深司も複雑そうな顔をした後、ゆっくりと来た道を戻っていった。 (どうしよ…俺、本当に深司の事好きだ…) ドキドキと高鳴る心臓を押さえながら、リョーマはその場にしゃがみ込んだ。 (いやだ…男になんて戻りたくない…。深司に好かれていたいよ…) その晩リョーマは、人知れず泣いた。恋心の重さに、押しつぶされる感覚を抱きながら。 |